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2024年夏英国に行って以来、ご縁あって以来2ヶ月ごとに訪問しています。超スピードで事態が展開し、驚嘆しています。この事象の理由として、大英帝国のシステムに秘密があるとしたら、、、と考えるようになり、頭をよぎったことをメモしてみたくなりました。

ローマ帝国との対比

英国にとって、帝国経営の教科書はローマ帝国だという通説があります。歴史好きは有名で、英国人はヘボンのローマ帝国衰亡史を読むことになっています。(英国人の何%が読んでいるかは知りません)ローマ帝国がなしえた5賢帝時代のガリア征服、地中海征服、キリスト教化は大事件でした。文字、言語、通貨、宗教、、、というファンダメンタルをローマ帝国は普及させた歴史があります。切口は違いますが、まるでインターネット普及のようなファンダメンタルを2000年前にやったと考えられます。植民地の人材や税金は中央政府に吸収(収奪?)され、その見返りに、辺境国(植民地)の人民は保護を受け、兵役で手柄を立てれば市民になれる、というシステムを構築した。また、出征ローマ兵は現地駐屯兵として土地所有者となり、現地人と結婚し定住しました。

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2025年正月のロンドン再訪。巨大なフランシスクリック研究所にて。

英国は軍事帝国であり、世界に植民地を建設した稀有な国家ですが、ローマ帝国と異なる点は、

  • 英国人が植民地の領主となり血縁化する、ということはほとんどなかった。植民地に派遣され、任期交代で帰国する駐在員方式
  • 現地人を英国市民に昇格?する例は少ない(兵役義務にも関わらず差別化あり)
  • 英国は植民地民をキリスト教化する意欲はない
  • ローマは農作物で税収を確保したのに対し、英国は工場労働力を収益源として扱った

海洋軍事国家

ローマは農作物経済だったので、収穫に応じた税収を経営原理としたが、英国は海洋国家として貿易を経営原理にしました。英国製品を植民地に売り、買えなければ植民地Aの産物を別の植民地Bに輸送して売り(あるいは逆向きも)、取引により利鞘を稼ぎました。ディール目的であれば、ビジネスで出張する英国人にとって現地人化するメリットはなく、血縁化はむしろビジネス上避けられたのかもしれません。ローマ人は定住型、英国人は貿易型、ということでしょうか。

中央集権と産業革命への移行

英国は海洋軍事国家であるために、ローマ以上に強力な中央集権でなければ成立しません。そのために王制は有効に働いだでしょう。一方で、産業革命によって台頭した富裕層は、貿易のために軍事力の背景を必要としつつも、重い税負担を避けたかったはずです。この意味では、ローマの方が、代々の領地安堵という、江戸幕藩体制に似た感覚で税を当然と考えていたはずです。ちなみに、ローマ帝国では土地税と人頭税を合わせ、収穫量の10%から20%程度の税率だったと考えられています。英国は税率に絶対的基準でなくケースバイケースであったようで、むしろ商業(貿易)利益税に近い考えでした。これが、帝国経営スタイルの違いを物語っているのではないでしょうか。

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ケンブリッジ トリニティカレッジ。300年前アイザック・ニュートンがいた場所。

コモンズを失った庶民、富裕化した上流階級と経営者層

産業革命に誘発された大規模農場化や羊毛需要に応えるため、領主、貴族は囲い込み(エンクロージャー)を行い、庶民は何とか生活を支えてくれたコモンズ(公共の資源・森林や広場)を失い、工場労働者として都市に流入しました。貴族・領主は農業改革や産業投資で利益を得ましたが、庶民の伝統的な生活を破壊し、もたざる過半の国民は都市労働者となったと考えられます。

この時点から、英国は決定的にローマ帝国とは違う道を歩み始めます。工業生産国として英国は、第二次大戦前までドイツと並んで先進国でしたし、40年ほど前までその存在を誇っていました。しかし戦後アメリカに押されたのは無論のこと、後続の日本や中国に工業製品市場を奪取され、次第に勢力を失っていきました。工場労働者も次第に職を失い、サービス業に転じました。ローマはイスラムとゲルマンなどの異民族、異教徒の圧迫に耐えられず消滅していきましたが、異民族や宗教という理由ではなく、資本のプレッシャーにより帝国の崩壊に向かったと考えられます。

ブレグジットとロンドン、ケンブリッジ、オックスフォード3都物語

この趨勢の中で英国は、「帝国維持」について悩みに悩んだはずです。地理的な意味で植民地を次第に失い、軍事力も工業生産力も低下した今、どうしたら帝国を維持できるのだろうか? かつて大英帝国が樹立した海洋貿易立国のスタイルはどうやら回復不可能のようです。(王室以外に)今英国にはどんなチャンスが残っているでしょうか。大帝国が残した最後の遺産は、科学と英語です。英語さえできれば世界中の若者は英国に来て働ける。英国にチャンスがあると知れば、優れた科学者や起業家がやってきて、その一部は成功するかも知れない。ノーベル賞を指標とすれば、全受賞者中15%が英国であり、アメリカ(30%)の次に多いようです。日本からの移民 Kazuo Ishiguro が英国人としてノーベル文学賞を受けましたが、各分野で似たことが起きています。英語発信は商品化に有利で、もとより宣伝もたくみです。21世紀、瀬戸際に立たされた英国は、最後兵器(英語と科学)を投入して復活作戦に打って出たのではないでしょうか。誘致のためにロンドン、ケンブリッジ、オックスフォードは移民が40%を占める国際都市になっており、特にインド、香港、アフリカなどの旧植民地出身者をはじめ、中東、アジアからの移民がイキイキと活動しています。

英国は今、グローバル化、ネット空間という、かつてなかった環境変化を逆手にとって生き残りを模索しているように感じられます。今全ての情報はネットにあり、プロンプトは英語、貨幣もサービスも、かつてバーチャルと呼ばれていた空間に転移していった20年でした。表面上は、空間を牽引しているのは米国か、そうでなければカウンターの中国に見えますが、、、、
帝国資本主義のゲームを作ったのが英国なら、そのゲームに敗北したのも英国。しかし冷戦終結とネット空間の出現でルールが変わり、英国にとって有利な状況が生まれた、このチャンスを見逃すアングロサクソンではない。乾坤一擲の勝負に出ているのではないか。

今英国が発生させているインセンティブは強力なもので、世界中から知的情報リソースが流れ込んできます。投資額はアメリカについで世界第2位です。米国ではクイックにビジネス(売上)にならないと競争に参加できません。一方で英国では、いつ儲けになるのかはっきりしなくても「とりあえず開始」というトレンドがあります。その引力に吸い寄せられて、私たちのような海外の小さなスタートアップでも、ミニ企業、小資本家から、大きな資本やシステム、成功者まで、広範囲のパートナーとネットワークする機会があり、わずか半年で経験を積むことができました。

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COGNANO CFOの懸命なピッチ@ケンブリッジ(ピッチは初経験)

最後に

ロンドンで思い出したことがありました。今Londonではツタンカーメン博が開催され、世界で最も有名な少年王の埋葬品が陳列されています。1922年、ハワード・カーターはカーナヴォン卿の投資を受け、カイロ南方にある王家の谷の発掘を続けていました。数々の王墓はすでに盗掘されており、それまでに判明した王墓はラムセスなどの歴代ファラオのものばかりでした。残された王墓があるのかどうか、誰も確信を持てずにいました。

発掘の資金が尽き、ラストチャンスを通告されたカーターは、最後の望みをかけ、誰も試したことがない古代の作業員小屋らしき遺跡の下を掘ってみました。すると、黄金に輝く埋葬品と、完全で美しい棺が姿を現しました。これまでの考古学者たちは、まさか王墓の上に作業員小屋を建てるとは思ってもみなかったのです。しかし、話はそれで終わりません。その後、関係者が次々に謎の死を遂げ、「ツタンカーメンの呪い」として世間を騒がせました。

小学生の時、この逸話にとても興味を持ったことを覚えています。このエピソードには、「逆張りしたものが全てを取る」「とはいえ因果応報はあるもの」というアイロニーがあるからです。最先端のトレンド作りに余念のない英国人と接した今、このストーリーは「盛り盛り」なのだろうな、と思います。読んでくださった皆さん、英国の復活にいくら賭けますか?