COGNANOのいむらです。どうしてアナタはCOGNANOを立ち上げたの?という質問をいただき、考えてみました。最初のきっかけは25年前、実行にうつしたのが10年前です。今回は、その話をさせてください。
研究テーマの変遷
ぼくは医者をしたあと、博士課程に入り、がん制御の研究を開始しました。4年の期限内に論文を出せましたが、あの重労働は2度とできないと思います。生まれつき健康だったので、壊れないで済みました。バイオの研究は、おおむね、「XXXという現象はOOOという分子の機能により起こる」という形式になります。→生物の基盤になる機能物質単位は分子ですよね、、、、OOOという分子が原因でXXXが起きているんだよね、、、、だから、このOOO分子に影響を与えると病気を治せたりするかもね、、、、というシナリオです。影響を与える物質として、最有力で使いやすい分子が抗体です。ぼくは抗体という分子ツールを自分で開発することで、薬を作る筋道を意識したわけです。同時に、恐ろしいことに気づきました。当時はまだヒトのゲノムが解読されてなかったのですが、莫大な数の遺伝子が存在することだけは判っていましたので、「1分子の証明に4年かけてしまった、もし対象分子が100万個あったら、400万年研究することになるのか、、、、」それが25年前です。
どうしてもうまいやり方がわからず、「老化研究」のラボに移りました。このとき考えていたのは、「遺伝子やタンパク質などの分子を対象にする以外に、具体的なバイオ研究の方法はみつかっていない。しかし、知りたいことは物質ではなく、産まれて生きて死ぬ、って何だろう?だ。どうしたら両方をコネクトできるんだろう?」その時にイメージしていたのは、(仮に対象分子が100万種類あるとしたら)100万軒の街を空から眺めつつ、同時に、一軒一軒の家の内部も(ファミリーの顔や名前だけじゃなく、靴下の種類や暖炉の燃え方に至るまで)詳細に理解する、という認識は人間に可能か?ということでした。まったく方法が思いつかず、「ああ、ぼんやり街を眺めて、諦めることになるかもね、、、」という気持ちを抱えて、あえてファジーなテーマにトライしてみようとしたのでした。物質である分子を気にしつつ、分子で説明できなさそうなコンテキストに逆張りした、といえるでしょうか。とはいうものの、この時代の老化研究は物質主義に足場があり、分子学を超えた成果には至りません。
どうしたって、近くを見ると遠くは見えず、遠くを見ると近くは見えない。しかし今はなんとか説明できます。100万軒どころか、地球の全表面の写真を瞬時に見せてくれ、1軒ごとの住所まで知る方法が出現したからです。
バイオデータの問題
これを、分子や細胞のナノ世界でやれば良い、と、今ならわかります。ただバイオ界の問題は、比較的解読しやすい遺伝子情報を除き、タンパク質、脂質、糖鎖に関して部分的な情報しか登録されておらず、高速処理したくても対象データが少ないということでした。「まともにやれば400万年かかるデータ」の蓄積をしないと話がはじまらないという、にわとりタマゴ問題です。
ミレニアム紀に合わせたように、2000年にヒトゲノムが全解読され、およその対象分子数(バイオ界にどれくらいのファミリー数が存在するか)が予想できるようになりました。
実際には、基本的なタンパク質数は約3万、バリエーションを許しても30万程度、修飾とか複合体を合わせても1〜2桁上のエレメント情報が、バイオ世界の情報サイズであることが想像できるようになりました。アプローチの方法は後で考えるとして、バイオマン的には、まずデータ蓄積だろ、、、、じゃあ、どんなデータがどのくらいあればいいというのか?これに関しては、データエキスパートでありリアリティ思想家、まえださんの意見が最も正確でしょう。このあたり、後日述べてもらおうと思います。
さきほど、空から地表を撮影し、個人情報まで知悉しているシステムが登場した、と書きました。スマホで何かが起きている、ということは、うすうす知っていましたが、当時はつながりを想像できませんでした。結局、テックピープルに繋がらないと無理だ、と判断したのは、アルパカからのデータスケールが「バイオマンが見たことがないサイズ」だったことで、呆然となったからです。
変わらないゲノムと変わるゲノム
産まれてから死ぬまで、生物の遺伝子(ゲノム)は変わりません。もし変わるということがあれば、それは別の自分になるということです(例えばガンなど)。ただし、適切な目的で変わる場所が1箇所だけあります。それが抗体遺伝子です。抗体だけは、無数の侵入物に対して、ほとんど無限に遺伝子を変化させて対抗します。そのために、ゲノムの一部分が積極的に変化するようにデザインされています。だからこそワクチンを打てば、体の中で抗体ができてくるのですが、その原理解明は、利根川氏と本庶氏の功績であることは広く知られています。一方、まったく独立に、約30年前、ベルギーのヘイマー氏という研究者が、ラクダの抗体は非常にシンプルで、コードする遺伝子を容易に読むことできると、偶然気づきました。ぼくたちは、論文でラクダ抗体のことを知り、かすかなサインを聞き取った気がしました。ちょうど2010年ごろ出現してきた「次世代シーケンサー」という遺伝子解読マシンを使って、抗体遺伝子を超高速で読み取り、標的に結合するかしないかで、機能分類するという技術を独自に開発していきました。
この技術による「ナノ(NANO)王国100万軒の包括的かつ徹底的な調査」に向けて、2014年にCOGNANOをローンチしました。どの部分がビジネスになるのかはっきりわからない状態でのローンチだったので、他人や国の予算を頼ることはできず、家内が経営している街場の薬局からの資金を頼りにラボを立ち上げ、会社登記を済ませました。この時から、バイオマンが分野違いのITエンジニアに辿り着くまでには何年もかかるのですが、それは(中編)で書きたいと思います。
ITエンジニアから視える景色に立ってみる(中編)に続く